WAREHOUSE TRACKSは、世界の様々な人々とワクワクするものを生み出す状況や環境を築くことを目標に掲げています。
これは、そんなコミュニティの輪を作り、広げ、何かを始めてみたい人たちに、実際にそれを始めるきっかけやモチベーションを共有することを目的とした連載です。
第四回目のゲストはエマ・ギャスパー(Ema Gaspar)です。
(ヴィジュアル・アーティスト)
幼いころ、両親の家庭問題で心が乱されていた私は、安らぎを求めてお婆ちゃんの家によく遊びに行っていた。そこはポルトガルのリスボン近郊、アルマダという街。人々はその街並みを殺風景と揶揄したけれど、私にとってのアルマダは違った。溢れる自然とお婆ちゃんの家の穏やかな風景が、私の心に美しさを刻んでいた。
お婆ちゃんはクロスステッチが得意で、彼女の家の近くには菜園が広がっていた。大きな木がそびえ、その周りは緑豊かな草木に囲まれていた。放課後、私は毎日その菜園を訪れ、栽培を手伝ったり、昆虫たちと遊びながら物語を紡いで楽しんでいた。そこは私にとって、世界で唯一安心できる場所だった。
両親はグラフィック・デザイナーだった。でもその当時、彼らにクリエイティブなことを強要されたことはなかった。私は子供向けアニメ(アニメに限らない)を観ては、菜園での時間の延長のように、自分の好きなキャラクターを想像したり、ストーリーを書き換えたりしていた。そんなあるとき、お婆ちゃんの家に積まれていた白紙を取り出した私は、なんとなくイラストを描き始めた。最初は、描く楽しさに夢中になり、『カードキャプターさくら』などのキャラクターを模写するだけだった。だけど、自分の頭の中で広がる空想や物語が、現実として浮き上がらせることが出来ることに気づくと、私はその瞬間の喜びに魅了されていった。まるで夢が目の前で生き生きと動き出すような感覚。私の頭の中にあるイメージが、ペンの先から紙の上に現れ、私だけの世界を描き出していく。
私は次第にこれに夢中になっていった。その頃に描いていた、擬人化した動物たちが地球を救う漫画は、内気で生きづらさを感じていた私にとって、現実から逃れる手段であると同時に、こんな世界にも自由に表現できる場所があるかもしれないという希望だった。
ポルトガルでは、国家予算の1%未満しか芸術に使われてない。芸術への支援が不足していることが理由で、そもそも美大に行くことやアーティストとして生計を立てる道を選択させてもらえること自体が難しい。豊かな創造性や文化があったとしても、政府からの支援がないことで、才能と情熱を持つ多くの人たちが苦労を強いられているのはとても奇妙な状況だ。そんな現実を考えると、両親がアートの道に進んだ当事者だったおかげで、美大に通うことが許されたことがいかに恵まれているか、感謝の念を抱かずにはいられない。
その後、美大に入り、絵画を学んだ。そのおかげで、表現の選択は増えたし、自分の頭の中のイメージをより詳細に描けるようになった。でももし誰かに「美大に通うことが本当に必要だったのか?」といま尋ねられたら、その答えは曖昧なものになるだろう。学校は私が本当に表現したいことの心の声を聞いてくれなかったし、教授と仲良くなって将来に繋がるコネクションも得られなかった。今の時代、技術を自分で学ぶことは可能で、美大に行けないことを気にするのではなく、自分の表現を実現することにプレッシャーをかけるべきだった。これも美大に通えたからこそ気づけたことではあるけどね。
美大に通い続け、学び、卒業した。でも私の人生はこれっぽっちも動いていなかった。卒業後はアートと関係ない仕事を探し、結局印刷会社に就職した。9時から17時までの仕事は、エネルギーを消耗するばかりだった。でも、もっと充実したものが絶対にあると信じ、もがき続けた。最終的に上手くいかなかったとしても、少なくとも全力を尽くしたと思えば安心できると信じ、そんな生活から抜け出そうと必死に努力した。さまざまな国のアーティストと集団展を開催したりしていた私は、ようやく印刷会社の仕事を辞め、フリーランスになることを考えていた。そんな矢先に世界中でコロナが蔓延した。私はフリーランスとしてのキャリアに集中し、画力を磨くために日々を過ごした。
コロナが蔓延しはじめて、ポツポツとSNSに作品を投稿し始めた。最初の頃は、そのすべてが混沌としているSNSを何度も諦めそうになった。でも、世界中の人々が私の作品に感動してくれたことが、私を励ましてくれた。それで少しづつSNSヘの投稿を増やしていき、コラボレーションしたいアートディレクターやクライアントを探して、毎日大量のメールやメッセージを送り続けた。その努力が今の仕事に繋がっている。
インターネットがもたらす素晴らしい点の一つは、誰もが自分の作品を発表し、チャンスをつかむことができるということ。私たちはギャラリーや大企業だけに頼る必要がない時代に生きている。物理的な展示会を開くリソースがなくても、インターネットを利用すれば自分のスペースを無料で作ることも、アートを自由にコントロールすることだってできる。それは、資本主義から自分の作品を取り戻す素晴らしい方法でもある。
コロナが落ち着き、私はポルトガルを離れ、東京に引っ越した。初めて旅行で東京を訪れたとき、人々やコミュニティ、自然との美しいつながりに心から感動した。その感動が、私を東京に導いた。
日本で過ごした一年間、仕事でもプライベートでもいろんなことがあった。ポルトガルでもがいていたあの頃を振り返ると、私は間違いなく別人のようになり、自分に自信が持てるようになった。
これからも私の人生には大きな変化とチャレンジが待っているだろう。それでも、限界を意識しながら、自分のやりたいことを自分で決めていきたい。そして、何よりも「やってみること」を忘れないようにしようと思う。失敗したっていい。それは学びの一環だから。また、どんな時に立ち止まるべきかを学んで、流れに身を任せることも大切にしていきたい。そして、自分を受け入れてくれる、最良のコミュニティと信頼の輪を大切にしていきたい。
Edit,Photo: Yuki Kikuchi
Translate :Kenyu Konishi