WAREHOUSE TRACKSは、世界の様々な人々とワクワクするものを生み出す状況や環境を築くことを目標に掲げています。

これは、そんなコミュニティの輪を作り、広げ、何かを始めてみたい人たちに、実際にそれを始めるきっかけやモチベーションを共有することを目的とした連載です。

第二回目のゲストは岩間 卓さん(フォトグラファー/喫茶店オーナー)です。

Article #2

“自分の好きで生きたい”

そんなアイデアを持つことになったきっかけは、三歳のときに、福島でホテルを経営していた父と別居することになったことだったように思う。

その当時、母の生まれ故郷であるマレーシアのジョホールバルに戻って生活を送っていた僕たち家族が父と会えたのは一年にたったの数回だけだった。そんな僕たちを不憫に思った父は、マレーシアに戻ってくるたびに、日本のおもちゃやお菓子をたくさん買ってきてくれて、毎年の正月には、祖母の住む栃木県真岡市に僕たちを招いてくれた。

都会の喧騒から離れた、田園風景が広がる真岡市は、都会暮らしに慣れた人たちにとっては田舎のように感じる場所かもしれない。でもマレーシアで暮らしていた僕にとって、真岡市での生活は新鮮な体験の連続だった。四季を感じさせる美しい街並み、新鮮な食べ物、だけど何より衝撃だったのは、真岡市で一緒に生活を送った、父方の親戚たちの生き方だった。

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マレーシアからやってきた僕たちが住まわせてもらったのは、祖母と叔母が経営するセレクトショップのお店の上階だった。部屋のなかにはこれから売られるであろう、アメリカで買い付けたストリートウェアや古着が部屋中に散乱していて、それはマレーシアでは見かけることのない代物と光景だった。

経営していた中古車販売のお店を閉め、東南アジアの旅から帰国した叔父は喫茶店を開業したばかりで、温かみのある内装と、叔父自らが作る美味しい軽食やコーヒーでお店は賑わっていた。

社会が宗教に強く依存している理由から、マレーシアの人たちは真面目で、一般的な成功の基準は大学進学や良い企業への就職とされる。だからこそ、真岡市に暮らす親戚たちの、好きなことで生きる姿をそのとき間近で見れたことは、僕の価値観と人生を揺るがす大きな出来事だった。

あるとき、運転中の叔父が車をぶつけてバンパーが壊れてしまった時があった。壊れたバンパーを見ながら、僕は修理に出さないと厳しいだろうと思い込んでいた。すると、叔父は平然とそれをテープで修復し始めた。しかも白い車のバンパーなのに黒いテープを使って…!

バンパーが壊れたら修理に出すことだけが正解じゃなくて、テープで直してみることが想像できたら実際にやってみる。自分に何かアイデアがあればそれをやってみてもいいとすること自体が、とても自由でクリエイティブなことで、彼らと彼らの生き方から、そんなかっこよさを学んだ気がする。

毎年のお正月、真岡市で過ごす時間のなか、親戚が見せてくれた生き方のおかげで、マレーシアで育った僕の考え方は少しずつ広がって、気づくとそれは、僕にとっての新しい「普通」となっていた。



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そうした考え方の変化は、小さい頃から好きだったサーフィンの捉え方にも影響を与えてくれた。マレーシアの保守的な思想や宗教には依存しない、自由で個性的な視点からサーフィンに立ち返ると、カルチャーという側面が徐々に見えてきた。

これまで気づくことのなかった、サーフィンにまつわるサブカルチャーを見つめるうちに、サーファーやフォトグラファーといった、サーフィンに紐づく人々やその背景に関心が広がって、同じ頃に見つけた、サーファーたちが波に乗っていない瞬間を捉えた、サーファーの素顔をドキュメントした写真集との出会いによって、少しずつクリエイティブなことをやってみたいと思うようになっていった。

Alex Knost(アレックス・ノスト)を知ったことも大きな出来事だっただろう。サーファーであるにも関わらず、インスタレーションを行い、Tomorrows Tulips(トゥモローズ・チューリップス)としてバンド活動もする、彼と彼のクルーの表現に引き込まれたことで、サーフィン・カルチャーに留まっていた興味関心は、ミュージック・カルチャー、アート・カルチャーへと膨張していった。

写真を始めたいと思い立ったのは大学生のころ。何から始めていいかも分からず、カメラさえ持っていなかった、その当時の僕に手を差し伸べてくれたのは、またしても真岡市の人たちだった。

その年、ふたたび真岡市を訪れた際に、カメラを持っていた叔母に相談すると、彼女はすぐにHARD OFFへ連れて行ってくれて、そこで見つけた300円のジャンクカメラを購入。そのあと、写真の基本を教えてくれた叔母の友人との出会いもあって、写真への情熱は瞬く間に育まれていった。

真岡市に滞在しているあいだ、興味のあるものを撮影して現像に出した。撮影ごとにリワインドを繰り返したせいで、全ての写真は半分に切れてしまったけど、それでも、マレーシアとは異なる日本の鮮やかな青空が現物の写真となって現れたことに本当に感動した。

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その後、Ed Templetonエド・テンプルトン)Sandy Kim(サンディー・キム)などのお気に入りのフォトグラファーが、どんなカメラでどんなテクニックを使っているかを写真サイトで調べながら、試行錯誤のなかで撮影を繰り返した。写真を始めた頃は、サーフィンの写真ばかりを撮っていたけど、同じ時期にスケートボードを始めたことで、次第に海から街を舞台にした撮影へと進んでいった。



マレーシアの友人たちが安定した生活を求め就職活動をするなか、僕は本格的に写真を通じて生計を立てたいと考え始めるようになっていた。さまざまな選択肢から将来を見つめた結果、マレーシアを離れ、東京で生活を送りながら、写真の仕事を探そうと決めた。マレーシアではフィルムが廃れていることから、フィルム・カメラだけでなく、写真のラボを見つけることさえ難しかったから。それに自分の半分がルーツの日本で写真の仕事ができたら面白いだろうと考えたことも、東京での挑戦を決心する大きな理由となった。



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だけど、東京で暮らし始めた僕はたこ焼き屋でアルバイトをしていた。見つかる写真の求人は結婚式の撮影ばかりで、日本語が不得意だったことから、それを相談できる友達もなかなか出来なかった。

夜の七時から深夜の三時まで働いて、朝になると東京の街に繰り出し、ポートフォリオになるようなドキュメント写真を撮り続けた。だけど、日本の社会やカルチャーを知るたびに、ここで作家として活動していくことが困難だと気づかされ、好きなことで生きることと生活のバランスを取る難しさを思い知らされた。

それでも腐ってたまるかと、自分の興味に少しでも引っかかる写真の仕事を探し続け、ファッションがその一つかもしれないと考え始めると、すぐ、街ゆくお洒落な人に声をかけ撮影するストリート・スナップをはじめた。それで、撮り溜めたポートフォリオをまとめて、何社ものブランドにメールを送り続けた結果、マレーシアのファッションブランドと仕事をすることになった。

その後、そのブランドと継続的に仕事をするようになっただけでなく、彼らの紹介のおかげで、少しずつ東南アジアを中心に写真の仕事は増えていった。そんな経緯もあって、そのあと、僕は拠点を東京からインドネシアに移すことにした。でも、すべては日本でのプロセスがあったから。人間としても成長できたし、日本に暮らしたことで出来た友人もたくさんいる。だから難しかった部分もたくさんあったけど、その全部に感謝してる。

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インドネシアからマレーシアに戻ったあと、写真のスタジオを立ち上げたいと思い、すぐにジョホールバルの空いている物件を押さえた。でも、世界中に広がるコロナの影響で撮影の仕事は激減。そのスタジオは活用されず空っぽのままになってしまった。それでロックダウンのあと、心が折れかけたりもしたけど、このままじゃダメだって、ある時からスタジオを有効活用する方法を模索し始めた。そして、やがてそれは、珈琲屋を始めたいというアイデアに変わっていった。すぐに大先輩の叔父に相談した。叔父はいつものように親身になって話を聞いてくれて、そのあと日本からコーヒー豆を送ってくれたりもした。

その期間、好きなことを実践して生きる真岡市の親戚たちのことをいっぱい思い出した。そしたら僕も色んなことを自分でやりたいと思いはじめて、お店のリノベーションだけにとどまらず、気付いたらテーブルや椅子まで自分で作ってた。でもビジネスのプランニングは自分だけでは上手くいかず、すぐに収支がマイナスになっちゃったから業者を紹介してもらって、彼らから経営のノウハウを学んだ。

そうして、なんとかお店はオープン。いまは従業員を雇い、シフトやレシピ、従業員の支払いもぜんぶ自分で管理できるようになった。

Sunday Morningには、僕がこれまで歩んできた経験や好みがたくさん詰め込まれている。いまも旅館を経営する父に教えて貰った家庭的な日本のカレーと、いまも喫茶店を営む叔父に教わったダークロースト・コーヒーはこの店を代表するメニューになっている。それだけじゃなく、このお店では写真の現像と、フィルム、カメラ、写真集を購入することだって出来る。

現時点では、お客さんの多くが飲食のためにこのお店を訪れるけど、僕が真岡市でカルチャーに触れ、自分の世界が広がっていったように、この場所がマレーシアの誰かにとって、カルチャーに触れることができる、新しいコミュニティ・スペースとなることを願ってる。

All Photos by Taku Iwama